シーラーズ2日目。
ラマダン明けのホリデー最終日でもあります。
ちょうど8時のオープン時間ころに到着できそうだったのでピンクモスクに行くことにしました。
宿から徒歩10分ほどで到着。
もう既にかなりの人が扉が開くのを待っていました。
見た感じ、地元民の次に中国人の割合が多かったです。
やっぱり今日じゃなくて明日来れば良かったと思いました。
何でわざわざホリデー最終日の今日来てしまったんだろう。
近いし、明日も来ればいっか。
と思ったのですが、外国人の入場料は1,000,000リアルです。
イランの物価からするとなかなかお高めです。
みんなのお目当ての部屋は常に多くの人で埋め尽くされ、誰も写り込まないように光の差し込んだ床や壁の撮影するのは困難です。
おそらく翌日の方が確実に空いているだろうけれど、さすがに翌日も来るという意欲はなくなっていました。
その後は近くのシャー・チェラーグ廟 حرم حضرت شاهچراغ (ع)に行きました。
ここは外国人観光客にはガイドがつき英語で案内してくれます。
その前に荷物検査があるのですが、この荷物検査係のおばちゃんが、がさつ極まりないタイプで、他人の荷物だと思ってそういう扱いなのか全てを破壊する勢いで検査します。
空き巣が短時間で貴重品を漁っているような感じで乱暴に荷物を引っ掻き回します。
荷物の中には折り畳み傘があったのですが、それも取り出し、骨が曲がらない方向に無理やり曲げようとしたのでマジでこのおばちゃんクビにした方がいいと思いました。
ヤバいと思って慌てて止めましたが、止めずに黙っていたら絶対に破壊されていたことでしょう。
この感じだと既に観光客の荷物を相当破壊していると思われます。
あんた、この仕事向いてないよ。
家で家事でもしていなさい。
後で気づいたのですが、シラトリが入った入り口はメインエントランスではなかったみたいなので、ハズレを引き当ててしまったっぽい。
ちなみに入場料は無料です。
ガイドは男性なので、モスクも男性用の入口から入り、女性用の方は入ることはできませんでした。
5か月前のテロで撃たれて亡くなった方たちだそうです。
疲れたので一旦宿に帰ることにしました。
その途中でたまたまあったレストランで昼食をとることにしました。
喉が渇いていたのでコーラを頼んだら、日本ではもう見かけない昔ながらの缶から完全に取れるタイプのフタでした。
おススメのシシケバブとライスを注文しました。
シシケバブ、なかなかハードです。
ミンチのくせに硬いんです。
柔らか至上主義の日本人にとっては久々のアゴのエクササイズです。
これが初のペルシャ料理となったわけですが、正直あんまり好みじゃないなぁと思いました。
ってか、羊肉、あんまり好きじゃないからなぁ。
それに予想外に高くて後悔しました。
合計で3,000,000リアルでした。
夕方、次の訪問先までのバスチケットを買いにバスターミナルまで行きました。
宿の周りには意外とレストランがなく、夕食は2日連続ファストフード店で同じサンドイッチを食べました。
350,000リアル。
宿に戻ると、宿のスタッフがアリに連絡をするようにと言ってきました。
実は前日も言われていたのですが、疲れていたのと面倒だったので適当に流したのですが、さすがに2日連続言われたら断るわけにもいかず、スタッフの電話を借りて連絡しました。
そしたら今から迎えに行くからご飯食べに行こう的な感じで、「サンドイッチを食べた」と言ったのですが、結局行くことになってしまいました。
アリは息子のベニくんを引き連れてやっていました。
ベニくんはミュージシャンということでしたが、ミュージシャンとして生計を立てているのかどうかは謎です。
しかし、まぁ、正直アリと2人きりじゃなくて良かったです。
車で30分くらいは走ったような気がします。
まぁまぁ遠いガーデンレストランに到着です。
日本人の感覚では夕食の時間にしては少し遅い時間でしたが、かなり広い敷地で収容人数もかなり多めなのですがメチャクチャ混んでいました。
結局、昼と似たり寄ったりのものを食べることになっていました。
やはり羊肉が硬いんです。
鶏肉は胸肉だからパサパサだし。
腹が減ってたらまだ食べれたでしょうが、食べきれませんでした。
ということで、風呂敷みたいなパンと一緒に持ち帰りました。
宿まで送り届けてもらい、長い一日の終了です。
そしたら別れ際に「明日11時に迎えに来るからSIMカードを買いに行こう」と言い残し、彼らは去っていきました。
確かに翌日は月曜日でSIMカードもやっと買えるだろうけれど、11時っていう中途半端な時間設定なに?
それまで宿で待機していろと?
いやいや、SIMカードを買うにしても現金がありません。
いやいや、そういう問題じゃなくて、SIMカードくらいひとりで買いに行けるし!
翌日(3日目)はまだ行っていないモスクに午前中の早い時間に向かい、その後に両替してさっさと自分でSIMカードをゲットするというミッションを自分に課しました。
初日に闇両替がいた付近に行くと、初日とは比べ物にならないくらいの闇両替人たちが溢れかえっていました。
試しに数人に聞いてみると1ドル500,000リアルが相場のようです。
ついでにちゃんとした店を構えている両替所も覗いてみたのですが、410,000くらいでした。
やっぱ初日の両替は20ドルだけにしておいて正解でした。
100ドル両替することにして英語が通じた若者闇両替人と交渉の末、50,200,000リアルで合意。
その後、流れでSIMカードを扱っている店まで連れて行ってもらいました。
闇両替人たちがいる場所から徒歩3分くらい?
料金は2,500,000リアルなので500円ちょいくらいです。
さすがに3日目になると金銭感覚が掴めてきました。
時間はもう10時を過ぎていました。
早く宿に戻らないと。
アリが来てしまう。
っていうか、アリに連絡すれば済むのだけれど、アリの連絡先を宿に置いたままだったので宿に戻らなければ連絡先もわからないのです。
11時前に宿に戻り、急いでアリに連絡します。
最初はメッセージを送ってみたのですが返信がないのでもしかしたら見てないのかも?と思い、電話もしてみました。
「SIMカード買ったよ!」
(だから11時に来なくて結構です)←シラトリ心の声
しかし、アリには心の声は聞こえなかったようで「あと10分で着くよ」と時間通りにやってくるのでした。
しかも息子はおらずアリだけでした。
もうSIMカードも買ったってのに、どこに行く気だよ???
どこか行きたいところはあるかと聞かれ、特に行きたい訳でもありませんでしたが行けるんだったら行ってもいいかくらいの気持ちでペルセポリスと答えました。
すると、友人に行き方を尋ねたりし始め、どうやら行ってくれる感じになりました。
なーんだ、ラッキー♪
言ってみるもんだ。
ペルセポリスはこの道を行くんだ、でもその前に仕事の用事があるからここで少し待っててと一旦車を降ろされました。
ここの公園はキレイだから写真を撮るといい、とか言って。
でも、別に大したことないんですよ。
仕方なく2枚だけ写真を撮りましたが。
そして、アリは永遠に戻ってくることはりませんでした。
という流れを期待していた方、絶対いましたよね!
アリは戻ってきたのですが、なんかペルセポリスに行く気配が完全になくなっているんです。
50キロ離れているので行くなら早く向かわないと帰りが遅くなるのに、アリは随分のんびりしています。
フルーツマーケットでフルーツを買おう、とか言ってバナナやらオレンジみたいな柑橘系フルーツを明日のバスのおやつにと持たせてくれました。
しかもアリは肉類まで買っています。
もうこれ絶対行く気ないよね。
おまけに駐車場で声を掛けてきた闇ビール販売人みたいな人からバドワイザーを1ケース購入していました。
そしてやっと走り出したと思ったら訳のわからないそこら辺の山?に向かい、ピクニック?とかなんとか言って車を降ろされました。
ペルセポリスがいつの間にかそこら辺の山に変更になっていました。
山は山でもイランの山は木がほぼないので木陰というものがほぼありません。
ガンガン直射日光が直撃する中でピクニックとかないわ。
かろうじて小さい木が一本生えていて少し日陰になっているところに座ったのですが、何が楽しいんだか。
買ったばかりのバドワイザーをいただきましたが、ビックリするほど不味かったです。
そもそも味がビールですらありません。
材料を見たらその中に「ライス」って書いてありました。
ビールってライスなんか使わないよね。
もしや、この記事がイラン政府の目に留まったら飲酒がバレて罪になってしまうのでしょうか。
アリは車から持ってきたシートを敷き、そこに横になるとシラトリにも横になるよう言ってきましたがキモいので頑なに拒否しておきました。
ピクニックはあっという間に終了しました。
たぶん30分も経っていないと思います。
10分くらい???
その後は、アリは仕事があるようでシラトリはアリが拾ってくれ、お金も払ってくれたタクシーで町まで戻りました。
せっかくなので博物館に行ってみました。
シーラーズではモスクの横などでテントをたくさん見かけました。
まさにピクニックをしているのだそうです。(アリ談)
流行っているのか町ではこのタイプのテントをたくさん販売していました。
アートでお洒落な通りもありました。
宿に戻ると早めの夕食で前日に持ち帰ってきたケバブたちと風呂敷みたいなイランのパンをいただきました。
このパンがまた水分が一切なく、しかも硬いんです。
するめか何かの皮でも食べているみたいです。
日本人がイメージするパンとは最もかけ離れているパンではないでしょうか。
夜、宿で同じくひとり旅の香港人女子と少し話をしました。
今後の旅のルートが似ていたので連絡先を交換しました。